こまきね流自然塾    筆者と共に、身近なところに宇宙の真理と神秘を探して見ませんか?

Vol.1 百合の引っ越し
Vol.2 『手の平を返す』ガクアジサイ
Vol.3 遅れてくる子たち
Vol.4 「実を着けるということ」
Vol.5 「産まれたところが一番<前編>」
Vol.6 「産まれたところが一番<中編>」
Vol.7 「産まれたところが一番<後編>」
Vol.8 オキナグサの「啓蟄(けいちつ)<前編>
Vol.9 オキナグサの「啓蟄(けいちつ)<後編>

Vol.10コケリンドウ





 

『産まれたところが一番』<前編>
                ――― 植物のイデアD―――
 



 牧野植物図鑑に「モジズリ」(1976年北隆館)、他の多くの書物に「ネジバナ」と呼ばれる、多年草の、実に可愛いラン科の植物があります。

 小倉百人一首、源 融(平安時代・河原左大臣)の歌に、「みちのくのしのぶもじずり・・・」とあるのは、今日の福島県信夫郡あたりに産した絹織物の染色法から出ているようです。ツユクサ・藍の葉・ムラサキなどの色素を使い、絹地に花鳥草木の文様で染め抜いた、都でも評判の織物だったようです。一説には、シダ類の「シノブ」の葉・茎の色素で、シノブの形をデザインし、絹布に捩れるように摺りつけたともいわれています。「ネジバナ」の捩じれ付く花の列が、染めの技法の捩じれと語呂合わせになったものかもしれません。

 それにしても「もじずり絹布」は、ブランド品でした。陸奥(むつ)藤原氏の基衡(もとひら)が、毛越寺本尊を、当時京で名高い仏師《連慶》(=奈良東大寺・南大門の金剛力士像を彫刻)に彫って欲しいと懇願し、そのころでも破格、莫大な謝礼を贈っています。そのリストの中に『信夫毛地摺』絹布千反、『安達布』千疋も入っていました。「信夫」、「安達」は、現在も地名として残っています。
 古の、京の人々を魅了した絹布の染色原料は、自然の草たちだったのです。今日、私たちが感じる「草木染め」の温もりと雅さは、平安の人々にも共通していたのでしょうか。
 草を捩ったとされる石臼が、『文知摺石』として「福島市・山口町字文知摺」の地に柵囲いされ、訪れる人も多く、今に残っています。

 

 

 その「モジズリ」、草丈15〜30p前後、多年生のラン科の植物です。幅1pに満たない葉が2〜3枚、株元から花茎に添うように展開しています。細くすらりと伸びた緑色のその花茎に、淡いピンク色から濃色までの5oほどの可愛らしい小花が、隙間もないほど列をなして下から上へ咲き連なっていきます。

 その花の列が変わっています。まるで細い緑の編み棒の中程から先端に向けて、桃色と白のツートーン・カラーのふわつとした毛糸が、ていねいにらせん状に巻き上がっているようです。そのピンク色の細い棒が、日当たりのいい芝生や草原のあちこちに、乱立ぎみに生えている光景に惹かれます。
 株元に近づいて見ると、巻き方は、右巻き、左巻きさまざまです。なおもルーペに近づくと、そこには、思わず声を立てたくなるような、笑みをたたえた「ランの花」が、一つ一つ、頬を寄せ合って並んでいます。
 花が笑っているように見えるのは、ラン科の多くの植物に共通している花の形にあります。カトレアやシンビジゥムはその代表格です。花の中央に、人間の唇を開き加減にしながら、舌を延ばしているような、それでいて笑みを浮かべている表情は、文字通り「唇弁」とよばれる花弁のせいです。カトレアなどの大型の花では、なまめかしさを感じさせるほどの唇弁です。

 モジズリでは、唇弁だけが白で、他の花弁・顎片は半開きのピンク色です。ツートーン・カラーに見えたのはそのためです。ピンクの中に白一点。その一点の形が、子猫の開けた口唇にも見えるのです。見ようによっては、まるで赤ちゃんの笑顔なのです。ルーペのなかでは、もう5oの小花ではなく、口を開けて笑う赤ちゃんの顔です。
 その笑っている赤ちゃんの口が、つぎつぎに隙間なく並び、連なってくるのです。螺旋階段を登っていくのです。笑う声さえ聞こえてきそうです。

 

 


ネジバナ
 

「モジズリ」には、開花期の異なる二種類があります。植物図鑑や山野草栽培書などには、5〜8月開花とありますが、これでは私の「栽培体験」と一致しないのです。株の個体によって、毎年開花時期がはっきり異なっています。年によっては5月に咲いた個体が、ある年は気象により8月に咲いたというのではないのです。春咲き種と、秋咲き種の二種類あるのです。

 春咲きといっても、それは晩春〜初夏にかけて咲きます。遅咲きのものは、9月に入り、朝夕の風にやや涼気を感じる頃に咲き始めます。この時には、春咲きの早生ものは、すでに地上部が枯れ、朔果の袋も破れ、種子は飛散してしまいます。 「モジズリ」たちを何気なく見ている人たちにとっては、5月に見たけど・・・8月にも咲いている・・・ということなのでしょう。随分と花期の長い花ぐらいにしか分かってもらえないのかもしれません。

 

 

 このモジズリ、実は大変なフロンティアであることに驚かされます。というのも、一般にラン科の植物たちの自然状態での「種子による繁殖」が、極めて難しいものであることとつながりがあるのです。
 ランの種子は、他の植物の「タネ」のように、発芽期に自足するための十分な栄養分を持ち合わせていないのです。卵に卵黄がないようなものです。「ラン」が植物の形となり、芽を出すところまでこぎ着けるには、周りに存在する「菌」たちの助けが要るのです。その菌も、どれでもいいというわけではありません。もちろん、同属のラン菌がいてくれるのは一番です。(日光市御幸町にお住まいのM.小林さんの実験では、枯れ木に着いている白い糸状菌に混ぜると、ウチョウランの発芽が見られるとのことです)

 それほど「ラン」の種子は、心もとない状態で親元から離れるわけです。指の間でこすり付けると褐色の粉末にしか見えないほどです。採種紙に集めた種子の整理を、息を詰めて作業しますが、呼吸を違えてフゥッと一息吐いてしまうと、それまでの手入れは水の泡、飛散してしまいます。
 ですから、自然界で熟した朔果から風に運ばれる種子は、肉眼ではもう塵芥のひとつです。それも注視していないと、無の世界です。

 ランのタネにとって、到着したその地は、生か死か・・・全運命を任せるしかない、まさに「その地」の「定め」に従うことになるのです。
 到着したその地に、幸いにもラン科の仲間がいて、先住者のラン菌が辺りに広がっていてくれたら、『ラッキー!』です。ラン菌の手助けを得て、一人前のランの芽生えができることになるのですから。
 そんな中、なんと! モジズリは逞しいフロンティアなのです。日当たりの良い草地、芝生に着地すると、そこで芽を出します。

 

 02年夏、意外な場所、意外なスペースに生きる「モジズリ」を発見しました。決してだれも近づくことの出来ない場所です。ルーペの拝見も許されません。
 一日の乗降客数約43万人。東京「高田馬場駅」。JRと西武新宿線にまたがる弧線橋の真下です。JR山の手線と西部線の電車が、間断なく停・発車を繰り返しています。両線の境界に、橋を支える四角い強固な鉄骨組柱が並んでいて、その柱の基礎部分に、1m幅くらいのコンクリート土台があります。その土台の「新宿」寄りの内側、わずか1平方mのスペースです。土壌は鉄道特有の小石と砂礫のガレ地です。「モジズリ」の1本が、そこを住家と定めたのです。草丈は20cmほど。あのツートーン・カラーの花がねじれ咲いていました。3年以上の定住歴がありそうでした。


 午後になると、その狭い限られた場所に、西日が細く差し込みます。とぎれることのない、濁流にも似た慌ただしい人間の移動。そのざわめき。列車のきしみ。黒と褐色に塗りつぶされた周囲の色彩風景の中に、緑とピンクのモジズリがくっきりと浮き出ていました。スペースの同居人は、やや離れたところに小さなキク科の植物が1本だけ。生きるにはそれほど厳しい場所であることがわかります。
 その日は台風接近中で、強い風、晴れ間と雨という気象でした。雲間から射す一筋の陽光は、モジズリを照らすスポットライトでした。日照量の少ない体は、幾分なよなよしていましたが、列車の通り過ぎるたびに起こる風と台風の風にもめげない・・・シノブモジズリの忍ぶ姿そのものでした。
 時折、強い風のあおりを受け、長く伸びた緑の細葉が、まるで、人を手招きする「おいで! おいで!」のしぐさになります。葉の上にすらりと伸びた花茎は、大きく揺らぎます。
 たしか、世阿弥の言葉だったと思います。『播かれたその地にて、もっとも佳き華を咲かせよう・・・
 侘しいようで、けなげで・・・、逞しいようで、艶やかで・・・。
  
 フロンティアは、実は、ここから始まるのです。ラン菌がモジズリによって新地に播かれたのです。次回、<その二>で後継者たちを紹介します。
by F.KOMAKINE

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